![]() |
![]() |
最初にギターを手にした瞬間から、俺はプロのミュージシャンになるつもりだった。 | |
そして、常にその気持ちを胸に、あらゆる決断を下してきた。とても長く、困難な道のりだった。そして、その道のりは今でも続いている。しかし、後悔したことは一瞬だってない(いや、シュトゥットガルトでのゴキブリだらけのアパートと L.A. にいた時に俺が出国できないようにパスポートを取り上げた悪人マネージャーに関しては別かも知れない)。 俺はフランス国境沿いの小さな村(ドイツの Elversberg というところだ)で育った。音楽シーンなどまったくない場所だ。そこから、米国やブラジルをツアーするまで、中国やマレーシア、インドネシアで演奏するまで、そして自分の第二の故郷である日本でツアーをするまで、とても長い道のりだったんだ。 最初のバンドを組んだのは、 15 歳の時だった。 18 になって WILD AXES というバンドで最初のシングル 「Take Me」 (Rainbow Records) をリリースした。この時、ドイツの Hockenheimring という場所で最初の大規模なオープンエアーに出演し、 25,000 人の観客を前に演奏した。 |
![]() |
19 になった頃は、ドイツ国内にある米軍基地のあちこちのクラブで週に 3 回演奏していた・・・そして、早朝 5 時に家に帰り、それから学校に通っていたんだ。辛かったよ。当時の俺の仲間でこれを乗り切れる奴は一人もいなかった。彼らは結婚し、子供が生まれ、そして定職に就いた。 24 になった時、俺はドイツを離れ L.A. に向った。そこでマネージャーに金を騙し取られることになるんだ。そして 1988 年に SINNER に加入し、シュトゥットガルト(そう、ゴキブリのアパートさ)に引っ越した。これが本当のプロのビジネスに足を踏み入れた最初の瞬間だ。 この日を境に、俺の人生は完全に変わってしまった。 SINNER で俺は SAXON や DEEP PURPLE 、 WHITESNAKE や DIO 、 MR.BIG に URIAH HEEP 、 そして U.D.O. や SAVATAGE といった数多くのバンドのサポートを務めながら世界中をツアーして周った。有名な Good Night LA Studios で WHITESNAKE や KINGDOM COME らを手がけたプロデューサー Keith Olsen と仕事ができたし、他にも Will Reid Dick (THIN LIZZY) や Albert Boekhold (DEF LEPPARD) とも仕事ができた。 それから数年後、俺は SINNER での活動を一旦休み、アメリカ人シンガーの Paul Shortino (QUIET RIOT, ROUGH CUTT) と再びバンド (SHORTINO) を組むため、また L.A. に戻った。でも、俺はバンドの状態に満足できなかった。俺はドイツに戻り、 SINNER で新たなキャリアを積むことに決めたんだ。 |
![]() |
4 週間後、俺は MR.BIG のサポートを務めながらヨーロッパ中をツアーしていた。ツアーをし、アルバムをつくり、そしてまたツアーに出る生活の繰り返しだ。 SINNER で 12 年間活動した後、俺は自分自身のバンドを結成した。それが THE SYGNET だ。一枚のアルバムを作り、 DORO とツアーをしたが、バンドのシンガーだった奴と俺はそれ以降ソリが合わなくなってしまった。彼が進みたがっていた方向性は、俺が望んでいた音楽とは異なっていた。だから解散することになったんだ。 それから俺は PRIMAL FEAR に加入し、彼らの「ワールドツアー 99 」に参加してヨーロッパはもとより、ブラジルや日本でも演奏した。それでも、俺は自分のバンドが持ちたいと考えていたから、このバンドのフルメンバーになるつもりはなかった。 それで俺は SILENT FORCE を始めることになる。素晴らしい友人とミュージシャンを集めてバンドを結成したんだ。デビュー作 『Empire Of Future』 を発表した後、 STRATOVARIUS と共にヨーロッパ中をツアーで周り、パリで行われた NTS (with RHAPSODY, SHAMAN etc.) やストラスブールでの NTS (with SYMPHONY X) 、さらには Wacken といった各フェスティヴァルにも参加、その他にもピッツバーグで行われたフェスに出演したり、日本でアコースティックプロモツアーを行ったりもした。素晴らしいスタートだったよ。 |
必死で仕事をした成果は続く 『Infatuator』 にも現れ、この作品もよく売れた。素晴らしいレビューが届いたし、プロモツアーのためにまた日本にも行けた。 ANGRA と共にヨーロッパをツアーし、その後は U.D.O. のマネージメントから、バンドのドイツツアーに参加してくれないかとの要請を受け、それに応えた。これに続いて、アトランタで行われた ProgPower フェスティヴァルに出演し、 BLIND GUARDIAN や GAMMA RAY 、 EDGUY に ANGRA といったバンドと共に演奏した。俺たちにとって二度目となる米国での演奏は大成功に終わり、米国における俺たちの可能性が開けた。 |
それから次のアルバム 『Worlds Apart』 の製作に取り掛かった。完成に 3 年かかった。曲作りは速く進んだが、ビジネス上の問題に加えて、ドラマーの Andre が背中をひどく痛めてしまい、状況はさらに悪くなってしまった。この頃はバンドのメンバー全員にとって大変な時期だった。ツアーもギグもできない 3 年間は、バンドにとって非常に厳しかった。 『Worlds Apart』 は非常に好意的なレビューが得られ、とても良く売れた。このアルバムは、これまでのバンドの歴史で最も成功を収めた作品となり、 King Records から KAMELOT との日本ツアーへ招聘された。俺の第二の故郷、日本でのツアーは成功を収めた。 SILENT FORCE の他に、俺はギタークリニックやワークショップをやり始め、これで世界中を何度か周ることができた。この業界にいると、楽器フェアで他のミュージシャン達と会ったり、楽器店でクリニックをして参加者にテクニカルなプレイを教えたり、自分自身のミュージシャン人生を語ったりできる。そんな部分が俺は好きだ。 99 年から 2006 年までの間、俺は仕事上の理由とプライベートな理由で 15 回以上も日本へ旅をした。日本の文化と国には強い繋がりを感じるんだ。 |
![]() |
忙しいスケジュールの合間を縫って、俺は次の SILENT FORCE のアルバム 『Walk The Earth』 の制作を終了させた。ヨーロッパではレコード会社が再び変わり、俺たちは AFM と契約を結んでいる。新作 『Walk The Earth』 は、 2007 年 1 月/ 2 月にワールドワイドでリリースされ、現在俺は自らのソロバンド ALEX BEYRODT'S VOODOO CIRCLE と共にデビューアルバムのレコーディングを行っているところだ。(続く) |